「今回の判決で裁判所は、事件捏造(ねつぞう)という原点に初めて向き合ってくれた.
成果は1986年に母も参加した九人の請求人と、永い間支援して下さった方々がかちとったものと思う」
第四次横浜事件再審請求に対し、10月31日、横浜地裁(大島隆明裁判長)が再審開始決定を告げた時の斎藤信子さんの言葉だ.
◆「再び過ちをおかすな」と
斎藤さんは、兄・新一さんと共に、第二次、第四次の請求人である.
86年、治安維持法再来というべき国家秘密法案の登場に危機感をもち、再び過ちをおかすなと横浜事件被害者本人及び遺族が再審を申し立てた(第一次).
二人の母、小野貞さんは故・小野康人氏(事件当時、「改造」編集者)の妻として加わった.
第一次請求は、一件記録の不在(敗戦時、戦犯追求を恐れた裁判所は資料焼却.横浜事件判決書の大半は存在せず)のため審理不能、という無責任きわまる理由で却下.
そこで例外的に予審終結決定書と判決書の両方がそろっている小野康人氏のケースにしぼって第二次請求が行われた(94年7月).
貞さんは、自分の老齢を考え、息子、娘に請求に加わることを望んだ(95年6月没.86歳).
こんな経験から「国の誤りを正すこと」は、第一次の九人、さらには全事件被害者に共通の願い、という思いが信子さんにはある.
第一次も第二次も、裁判所は、「さわらぬ神にたたりなし」と門前払いをつづけ、事件の実態には一指もふれなかった(地裁、高裁、最高裁).
第四次請求は、①横浜事件はすべてが当局の捏造、②有罪判決は捏造の追認、つまり警察・検察・裁判所総ぐるみの国家犯罪であり、その責任の認定を求めるものだった.
今回の大島判決は、原有罪判決の唯一の根拠=本人の自白は、特高の拷問の結果と認定した.
敗戦後間もない47年、被害者33名が拷問特高を共同告発(52年、最高裁で有罪確定)した折の各自の口述書が、再審開始の「新証拠」に採用された.
「小林多喜二がどうして死んだかしってるか」とわめきながらの拷問の凄惨(せいさん)さ(獄死四名、保釈直後死一名)は、読むのも息苦しいが、小野康人他二名の口述書が、8ページにもわたって判決書に引用されている.
判決は、また小野が参加したという「共産党再建準備会議」(富山県・泊[とまり]町)が、細川嘉六氏が友人たちを郷里に招待した慰安会だったことを認定した.
原有罪判決は「拙速」の(被告6人共同で即日判決)「ずさんな事件処理」だったと指摘.こうして当局の捏造及び司法責任が明らかにされた.
判決書は、右口述書のほか、小野貞さんら被害者の著書、第一次請求の九人の証言ビデオ、小野家保存の泊慰安会アルバム、陸軍報道部・平櫛少佐著書、拙論文(「世界」99年10月号所載)等、第一次以来の諸資料を「新証拠」に採用した.
裁判官がこれら資料を誠実に、丹念に吟味したことは、判決文の各所に示されている.
◆裁判所批判 正論を見た
判決は、さらに一件記録の不存在に言及、当時の裁判所が「連合国との関係において不都合な事実を隠蔽(いんぺい)しよう」と「廃棄した可能性が高い」として、そのことで「新旧の証拠資料の対比が困難」といって再審請求を認めないのは、「裁判所の取るべき姿勢ではない」と批判したのである.
第一次却下以来、20年目にして出会った正論である.
横浜事件は、太平洋戦争下、反戦平和の声や思いを根絶やしにしようとして、でっち上げまでして起こされた言論・思想弾圧事件である.
言論・表現、思想・良心の自由が徐々に侵され、歴史の偽造者(たとえば田母神前空幕長)が大声をあげる現在、歴史の真実と正義にこたえた判決を歓迎し、開始再審(免訴の可能性大と予測されるが)を機に、この成果をより確かで、より広いものにしていきたい.
(橋本 進 [はしもと・すすむ] 元「中央公論」次長、元日本ジャーナリスト会議代表委員) |