2009年5月30日土曜日

横浜事件刑事補償請求 『免訴の壁破る』

横浜事件刑事補償請求 『免訴の壁破る』(東京新聞より転載)

2009年5月30日

 横浜事件の第三次再審請求は、同じく免訴判決が確定した第四次とともに、刑事補償の中で他界した元被告全員の「無実」を証明し、名誉回復を目指すことになった。二十九日に横浜地裁に補償請求を行った第三次の元被告遺族らは記者会見し、「実質無罪を勝ち取り、免訴の壁を破る」と決意を新たにした。

 第三次で、裁判を打ち切る免訴判決が最高裁で確定してから約一年三カ月。刑事補償を請求するのか-。元被告の遺族の意見はなかなかまとまらなかった。補償金で事件を終わらせることへの葛藤(かっとう)があった。

 だが、刑事補償で元被告が名誉回復できる可能性を明示した、第四次の横浜地裁判決に勇気づけられた。補償が認められると、官報などに要旨が公示され、元被告らの「実質無罪」が認められる。「免訴のままでは終われない」との思いで遺族が一致し、補償請求に踏み切った。

 主任弁護人の大島久明弁護士は、「実質審理で無実を示してもらうことに意義がある」と語った。

 元被告で、雑誌「改造」元編集者の故小林英三郎さんの長男小林佳一郎さん(68)は「父たちが苦労を背負わされた過ちを正す判断が示されれば」と期待を寄せた。

 「中央公論」元編集者の故木村亨さんの妻まきさん(60)は「お金のために裁判をしてきたのではない。横浜事件は終わらせられない。自分のできる限りで活動を続けていきたい」と力強く語った。
◆復元判決で審理を

<解説>

 横浜事件の第三次再審請求では、戦後の混乱期に裁判所が裁判記録を廃棄したため、判決原本が残っておらず、弁護団が資料から復元した「判決」を基にこの日請求された刑事補償手続きの中で、実体審理にまでたどりつくかが、焦点となる。

 すでに補償請求している第四次再審請求の元被告・故小野康人さんには、裁判に問題があったかどうかを判断する前提となる、判決原本が残っており、第三次の元被告らと立場は異なる。

 しかし、いずれの元被告も、当時の治安維持法違反容疑で逮捕され、特高警察による激しい拷問を受け、自白を強いられるなどした。遺族らの「(元被告の)名誉を回復したい」との思いも変わらない。

 横浜事件では第四次以降、再審の動きはなく、刑事補償請求の結論が“最後”の司法判断となる可能性が高い。事件を総括する意味でも、第三次と第四次の元被告全員の「実質無罪」を認める判断が、裁判所には期待される。 (岸本拓也)

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横浜事件:刑事補償請求 遺族、名誉回復へ続く活動 /神奈川
 ◇「司法の過ち」明確化求め

 「刑事補償も事件を忘れないための活動」と遺族は言う。戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」から66年。治安維持法違反罪で有罪となり、再審で免訴判決が確定した故木村亨さんら元被告4人の遺族が29日、横浜地裁に刑事補償を請求した。4月に請求した別の遺族とともに夏前とも見込まれる地裁決定で、再審では得られなかった「無罪」の判断を求めていく。

 請求したのは、最高裁で08年3月に免訴が確定した木村さんら5人のうち4人。請求後に地裁近くで会見した木村さんの妻まきさん(60)は「補償額がどんなに高くても満足しないし、横浜事件が終わったとは思わない」と語り、作詩など事件の風化を防ぐため裁判以外にも取り組んでいることを紹介した。

 免訴確定から1年以上たった。大島久明弁護士は「お金を請求することへのためらいがあり時間がかかった」と説明。故小野康人さんの再審で免訴とした横浜地裁判決(3月、確定)が刑事補償手続きによる名誉回復の可能性を詳述したことから「勇気を与えられた」と請求に踏み切った。

 遺族らは無罪判断による名誉回復と並び、司法の過ちも問うている。故森川金寿弁護団長の次男で事務局長の文人弁護士は「裁判所が今も責任を取らないからこそ、請求する意味がある」と話した。【杉埜水脈】(毎日新聞)

2008年12月1日月曜日

反戦思想を弾圧 事件捏造の国家責任明らかに
第四次横浜事件再審裁判の勝利判決

「今回の判決で裁判所は、事件捏造(ねつぞう)という原点に初めて向き合ってくれた.

成果は1986年に母も参加した九人の請求人と、永い間支援して下さった方々がかちとったものと思う」


第四次横浜事件再審請求に対し、10月31日、横浜地裁(大島隆明裁判長)が再審開始決定を告げた時の斎藤信子さんの言葉だ.


「再び過ちをおかすな」と

斎藤さんは、兄・新一さんと共に、第二次、第四次の請求人である.

86年、治安維持法再来というべき国家秘密法案の登場に危機感をもち、再び過ちをおかすなと横浜事件被害者本人及び遺族が再審を申し立てた(第一次).

二人の母、小野貞さんは故・小野康人氏(事件当時、「改造」編集者)の妻として加わった.

第一次請求は、一件記録の不在(敗戦時、戦犯追求を恐れた裁判所は資料焼却.横浜事件判決書の大半は存在せず)のため審理不能、という無責任きわまる理由で却下.

そこで例外的に予審終結決定書と判決書の両方がそろっている小野康人氏のケースにしぼって第二次請求が行われた(94年7月).

貞さんは、自分の老齢を考え、息子、娘に請求に加わることを望んだ(95年6月没.86歳).

こんな経験から「国の誤りを正すこと」は、第一次の九人、さらには全事件被害者に共通の願い、という思いが信子さんにはある.

第一次も第二次も、裁判所は、「さわらぬ神にたたりなし」と門前払いをつづけ、事件の実態には一指もふれなかった(地裁、高裁、最高裁).

第四次請求は、①横浜事件はすべてが当局の捏造、②有罪判決は捏造の追認、つまり警察・検察・裁判所総ぐるみの国家犯罪であり、その責任の認定を求めるものだった.

今回の大島判決は、原有罪判決の唯一の根拠=本人の自白は、特高の拷問の結果と認定した.

敗戦後間もない47年、被害者33名が拷問特高を共同告発(52年、最高裁で有罪確定)した折の各自の口述書が、再審開始の「新証拠」に採用された.

「小林多喜二がどうして死んだかしってるか」とわめきながらの拷問の凄惨(せいさん)さ(獄死四名、保釈直後死一名)は、読むのも息苦しいが、小野康人他二名の口述書が、8ページにもわたって判決書に引用されている.

判決は、また小野が参加したという「共産党再建準備会議」(富山県・泊[とまり]町)が、細川嘉六氏が友人たちを郷里に招待した慰安会だったことを認定した.

原有罪判決は「拙速」の(被告6人共同で即日判決)「ずさんな事件処理」だったと指摘.こうして当局の捏造及び司法責任が明らかにされた.

判決書は、右口述書のほか、小野貞さんら被害者の著書、第一次請求の九人の証言ビデオ、小野家保存の泊慰安会アルバム、陸軍報道部・平櫛少佐著書、拙論文(「世界」99年10月号所載)等、第一次以来の諸資料を「新証拠」に採用した.

裁判官がこれら資料を誠実に、丹念に吟味したことは、判決文の各所に示されている.

裁判所批判 正論を見た

判決は、さらに一件記録の不存在に言及、当時の裁判所が「連合国との関係において不都合な事実を隠蔽(いんぺい)しよう」と「廃棄した可能性が高い」として、そのことで「新旧の証拠資料の対比が困難」といって再審請求を認めないのは、「裁判所の取るべき姿勢ではない」と批判したのである.

第一次却下以来、20年目にして出会った正論である.

横浜事件は、太平洋戦争下、反戦平和の声や思いを根絶やしにしようとして、でっち上げまでして起こされた言論・思想弾圧事件である.

言論・表現、思想・良心の自由が徐々に侵され、歴史の偽造者(たとえば田母神前空幕長)が大声をあげる現在、歴史の真実と正義にこたえた判決を歓迎し、開始再審(免訴の可能性大と予測されるが)を機に、この成果をより確かで、より広いものにしていきたい.

(橋本 進 [はしもと・すすむ] 元「中央公論」次長、元日本ジャーナリスト会議代表委員)

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